にゃんころ黙示録

お風呂が好きなキモオタク

波止場の哲学者エリック・ホッファー

エリック・ホッファーが想定している自然概念はアジア的なものに対しても向けられている。ホッファーが文化と自然の対立という時にそれがシュペングラー的な文脈であるというよりは朱子学的な権力と自然が合致していた日本的な自然像を想定していた側面がある。ホッファーの自然観がアジア的な天皇ファシズム(直接的に言及されてはいないが)のようなものを想定していたのであれば、ホッファーのエコロジー嫌いみたいなのは頷ける。
ホッファーのオプティミズムと少年性の回帰の問題というのは、中期くらいの吉本隆明を連想するところがある。
しかしホッファーの言うような資本主義観やアメリカ観というのは過去のノスタルジーによって貫かれているものだ。その生涯不変のオプティミズムには危機感すら感じるが、ホッファーはそこに少年性や原始性といった言葉で、それが容易に内なるアジア的なものの暴発を招くことについて書いている。
ホッファーの面白さというのはブログ的な面白さでもある。つまりそれは純粋な知識人の言葉というよりは発言する大衆としての面白さだと感じる