にゃんころ黙示録

お風呂が好きなキモオタク

尾崎翠と唯識

尾崎翠唯識との関係について論じているものを前に読んだ。そう考えるとあの第七官界というワードが戦中派的な物々しさを帯びてしまうのだが、これは宮沢賢治の『春と修羅』序文にも同じことが言える。

 尾崎が少女小説的な世界観にそういった問題設定を組み込むことは、少女漫画的なものがスピリチュアリズムに架橋されてしまうことを予見していたとも思う。しかし尾崎が第七官界を求める少女を描くというのは、統整的理念としての第七官界というところに要点がある。そこにはどこか反時代的な不服従が感じられるのである。

 第七官界とは何であろうか。この問いの曖昧さこそが要点であり、その曖昧さの中に秘匿された文学観に少女文化とガスマスクの不幸な結合を断ち切る想像力の一端があると言える。